岡山(備中高松城)
1582年6月2日京都の本能寺で信長が無くなった日、
羽柴秀吉は備中にいて高松城の水攻めを行なっていた。
足守川をせき止めた水に囲まれた高松城の城主は清水宗治
6月3日夜か4日早朝に信長の死を知った秀吉。。
1582年6月4日朝、清水宗治は高松城から小舟で水上に現れ、
部下達の命を守る事と引き換えに水上で切腹。
それを見届けた羽柴秀吉は京都へ急ぐ、、
のちに「中国大返し」と呼ばれる戦国時代の有名なシーン。
自らの命と引き換えに部下達の命を守った清水宗治は
英雄として今に伝えられています。
(写真は、備中高松城あとに立てられてある「備中高松城の戦い」の説明板)
↓清水宗治の辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
↓周辺は広大なハス沼になっています。このハスは「宗治蓮」と呼ばれています。
↓沼の復元工事のおり、戦国時代の眠っていた蓮の種が芽吹いて咲いたものだそうです。
↓もしもですが、樹齢450年の木ならその戦を見たのだろうななんて思いながら
↓「水攻め音頭」というのも作られているんですね。
433年前の「備中高松城の戦い」を思いながら現代のどかな風景を眺めていました。
by kyohmy
| 2015-10-05 10:54
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